過去の展覧会

稲田早紀展

Saki Inada Tachibana Gallery
Saki Inada Exhibition
2012年10月15日~27日(日曜休)

「本物のようにみずみずしい」とか「香りが漂ってきそうだ」という言葉は、花の絵をほめるときの常套句ですが、稲田早紀の作品にはあてはまりません。みずみずしくはないし、花の香りも感じられないからです。では、シーレのヒマワリのように枯れているかというと、そうでもありません。おそらく稲田の作品を形容するには別の言葉がいるのでしょう。

切り落とされた赤紫のアジサイの絵(写真、2012年、130.3×162.1センチ、カンバスにアクリル、墨)。最近の彼女の作品としては、これでも鮮やかな方かもしれません。墨による黒い線はカンバスを焼いていたころの灰の色の「名残」なのだそうです。絵画を説明する文脈で「焼いていた」という言葉が出てくると違和感がありますが、学生時代の彼女はトラウマのせいで本当に絵を燃やしていたのだといいます。

アジサイばかりでなく、チューリップにせよシロツメクサにせよ、稲田が描く花からは肉感的な要素がそぎ落とされています。求めているのは、花がしおれる寸前の美しさなのでしょう。切り落とされているから死んでいるのか、切り落とされているけれど生きているのか。そうした境界線上の表現こそ彼女が苦心している点です。

本人いわく、目標はミイラのロザリア・ロンバルド。イタリアのパレルモにあり、世界で最も美しいといわれるミイラです。黄色いリボンをつけた少女のミイラは眠っているようにも見えます。このミイラを理想として生と死のはざまをとらえようとしている稲田にとって、「本物のようにみずみずしい」花を描かないことは、はすに構えたアイロニカルな表現などではないのです。それはむしろ本物にはない美を模索する積極性の表われだといえます。100号のアジサイの絵2点を含め18点を出品します。
(月~金曜正午~午後7時、土曜正午~午後5時)

稲田早紀(いなだ・さき) 1988年大阪生まれ、2011年京都市立芸術大卒。2010年GALLERYはねうさぎ(京都市)で個展、11年art gallery そら(大阪市)で個展、12年アートフォーラムJARFO(京都市)で個展。

寺村サチコ個展「今夜は女の子」

Sachiko Teramura Tachibana Gallery 寺村サチコ 橘画廊
Sachiko Teramura Exhibition
2012年9月26日~10月6日(日曜休)

鮮やかな色、意味ありげな曲線。繊維造形作家、寺村サチコがつくる立体は、官能の象徴として咲き誇る花のようです(写真は過去の作品の部分、シルクオーガンジー、絞り染め・型染め)。リアルな花ではなく、植物でさえないのかもしれませんが、甘い香りを漂わせそうな見かけは動物を誘う花の性質を感じさせます。

兵庫県出身の寺村が東京の大学に入ったとき、きらびやかに着飾った女の子たちが花かクラゲに見えたそうです。昆虫を誘い、蜜を吸わせる代わりに花粉を運ばせる花か、海の中をふわふわと漂い魚を捕食するクラゲか。外見は魅力的だけれど腹黒い。そんな、少し意地悪な見方から、上品なシルクオーガンジーを素材に立体をつくってきました。

もちろん野生の花は人の目を楽しませるために咲いているわけではありません。それは植物が子孫を残すために必要な手段です。人間も植物と同じ生き物であるとすれば、意地悪な見方をしたというよりも、善も悪もない自然界の秩序を示しただけと言ったほうがよいのかもしれません。

植物が昆虫を誘う戦略はさまざまです。チョウでもハエでも選り好みをせずに招き入れる花もあれば、特定の昆虫にだけ蜜を吸わせる花もあります。それぞれが生存に有利なように進化し、自らの形を変えてきました。植物の多様化にならい、彼女も次々と新しい造形美を生み出しています。
(月~金曜正午~午後7時、土曜正午~午後5時)

寺村サチコ(てらむら・さちこ) 1986年兵庫県生まれ。2010年多摩美術大卒、神々への捧げものアートコンペ優秀賞。11年赤穂市立図書館ギャラリーで個展、前橋アートコンペライブ・グランプリ、12年多摩美術大大学院修了。

月の光浴びた生き物の形

Hiroko Hasegawa Tachibana Gallery
長谷川浩子展
2012年4月2日~14日(日曜休)

「肉体が自分だとは思っていない」と、彫刻家の長谷川浩子は言います。肉体が滅んでも自分は死なないという意味なのか、ほかに深い意味があるのか、真意はわかりませんが、三次元でとらえられる世界の外にも目が向いていることは確かなようです。「オオゾラニキス」「ヒトツニナル」「ホシノヒト」といった作品のタイトルにも、日常を超えたものへの関心がうかがえます。

木彫を始めて20年。今は、ヒノキ、マツ、サクラなどを素材に、翼を思わせる流線形の作品や人の顔をかたどった作品を制作しています。紙やすりをかけ胡粉(白色顔料)を塗った表面はなめらか。シンプルなフォルムが優しさを感じさせます。それでいて、ただエレガントなだけの作品ではありません。物質文明とともに人間はもう限界に来ているのではないか、人間の次の存在は何なのか。そう考えている長谷川が生み出す祈りにも似た造形。こうした作品を前にして、創造するとはどういうことなのか、問い続けざるを得ません。

ここに掲げた写真の作品は「エネルギーの女神」をイメージしています。「宇宙のエネルギーをシュッと集めてくる存在」がなんとなく思い浮かんだそうですが、「原子力発電の対極」というイメージだけははっきりと持っていました。「これ」があれば化石燃料も原発もいらないというのです。「これが現れてくると世の中変わるような気がして……」。親しみを持って「これ」と呼ぶ彼女は真顔でした。

そんな彼女のインスピレーションの源が夜空に浮かぶ月です。満ち欠けを繰り返し、生命をコントロールする月。作品をつくるときは、その光を浴びた、すべての生き物に共通するエネルギーの形を意識しています。人間に似せた形をつくることや、動物に似せた形をつくることなら、そう難しくはないかもしれません。しかし「あらゆる生き物に地下水脈のようにつながっている形」を探るところに長谷川の挑戦があります。福島県いわき市から奈良県明日香村に拠点を移して約10カ月。関西では初の個展です。木彫10点とパステル画1点を出品します。写真は「オリタツ」(部分、2012年、サクラ、マツ)
(月~金曜午前11時~午後7時、土曜正午~午後5時)

長谷川浩子(はせがわ・ひろこ)
1961年 新潟県新発田市生まれ
1986年 東京芸術大卒
1987年 田村画廊(東京)で初個展
1988年 東京芸術大大学院彫刻専攻修了
福島県いわき市を拠点に活動し、ギャラリーいわき泉ケ丘(いわき市)、ギャルリー志門(東京)などで個展多数
2011年 東日本大震災で被災し、いわき市から奈良県明日香村に移住
グループ展「いま。つくりたいもの、伝えたいこと。」 (いわき市立美術館)

 

The Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant Shrine: Pacifying Malevolent Gods

宮本佳明 福島第一原発神社 橘画廊 The Fukushima No.1 Nuclear Power Plant Shrine
Katsuhiro Miyamoto exhibition
2012.3.5-24(closed on Sunday and holiday) Tachibana Gallery

This project aims to treat the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant as a shrine or mausoleum by covering it with a Japanese-style roof that would function as an icon. In order to avoid any further trouble at the facility, the site of the nuclear accident, it would be safely maintained and turned into an aquatic tomb containing highly radioactive waste, such as melted fuel, that would endure for over 10,000 years in the future.
***
At present, no plans have been made for a final disposal site much less an interim storage facility, and even if it were possible to decommission and dismantle the reactor, it would be impossible to remove the large amount of highly radioactive material from the site. On the other hand, undertaking a geological disposal at the facility is not a realistic option either, in light of the nature of the soil and water that lie less than 300 meters below ground. Thus, after completing an exacting repair operation, our only recourse is to fill the containment vessel with water, and continue to safely maintain the site, regardless of the amount of labor and cost required, as an “aquatic tomb” in which radiation levels are likely to decrease over the coming 10,000 years. Reaching a degree of safety that will allay anxieties is a simple task, but guaranteeing true safety is something else entirely. The best approach is to remain vigilant and attend the reactor’s deathbed.

The most important thing is to clearly specify the existence of any danger. This could directly affect the human race of 10,000 years in the future, by which time the culture and language are bound to have undergone a variety of changes. It also includes exposing the confetti-like patterns that are painted on the deceptive stage sets that serve as the exterior walls of the reactor facility. This blue pattern seems like a device to conceal danger. Conveying the fact that something is dangerous is an important role of architecture. In order for this mysterious box of a building to function as architecture, I propose that a large wooden roof, which would act as an icon, be placed on top. It would ideally have a crowned, exaggerated, and stylized design like that of a shrine. It would be a Japanese-style roof that would respectfully serve as an icon to enshrine the souls of the departed but prevent anyone from approaching. In the city of Yonezawa in Yamagata Prefecture, stands the Uesugi Ancestral Hall, in which the feudal lords of the Uesugi clan were enshrined from 1623 to 1876. Shrines to twelve successive generations, beginning with Kenshin, the original head of the domain, form an imposing horizontal line. Facing the sea, the Fukushima Nuclear Power Plant Shrine with a total of ten mounds, including the No. 5 and No. 6 reactors, and the four mounds at the No. 2 plant, would be reminiscent of a gigantic version of the Uesugi Ancestral Hall.

In terms of engineering, the roof would protect the plant from the elements, and the steel structure that supports it would provide seismic reenforcement and a robust covering. An irimoya-style gabled roof equipped with a kohai pent roof (covering the area where visitors would normally worship) would be built on the No. 2 to No. 4 buildings (W44.93m x D44.93m [upper section: 33.93m] x H46.05m; reinforced concrete construction), which contain BWR-4-type reactors. And a hogyo-style hipped roof (without a kohai roof) would be built on the No. 1 building (W41.56m × D41.56m [upper section: 31.42m] × H44.75m; reinforced concrete construction with partial steel frame), which contains the BWR-3-type reactor that is one size smaller than the others. The dimensions of the large roof on the No. 2 to No. 4 buildings would be 82m x 75m, with a maximum height of 88m. The design is also a key factor. For the nakazonae secondary supports in  the kohai section, I would use kaerumata (frog-leg struts) with a carving of a tsunami – a common sight on Tohoku’s Pacific coast. I would also use a wave design to preserve the memory of the disaster in the ebikoryo and kashiranukibana tie beams.

The kohai section, where the Shinto priests, dressed in protective clothing, would perform rites for the reactor on a daily basis, would be located directly above the old central control room. Their most important mission would be to accurately convey memories of the accident for 10,000 years in the future. Therefore, it is vital to spend a substantial amount of labor and money on maintaining the shrine. For example, the essential cypress-bark material that would be used to finish the roof should be rethatched periodically. It would also be necessary to cultivate a forest for use in rebuilding the structure in the future. And to further ensure that memories are accurately passed down to younger generations, the site should be designated as a National Treasure, and also as a World Heritage for the negative legacy it represents. Most importantly, every available method should be used to ensure that these memories are maintained in order to pacify the malevolent gods.

As for maintaining negative legacies, one might cite examples such as the restoration of the Frauenkirche in Dresden or the frozen preservation of the Atomic Bomb Dome in Hiroshima. The method that I propose for the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant is a kind of “watchful preservation,” and in order to make this possible a “feature preservation” of certain aspects of the facility. 
–Katsuhiro Miyamoto
(English translation by Christopher Stephens)

福島第一原発神社~荒ぶる神を鎮める~

宮本佳明 福島第一原発神社 橘画廊 The Fukushima No.1 Nuclear Power Plant Shrine
宮本佳明展
2012年3月5日~24日(月~金曜午前11時~午後7時、土曜正午~午後5時、日曜・祝日休)

事故を起こした福島第一原発。その原子炉を鎮め、今後1万年以上にわたって高レベル放射性廃棄物を現状のまま水棺化して安全に保管するために、原子炉建屋にアイコンとなる和風屋根を載せて神社ないしは廟(マウソレウム)として丁重に祀(まつ)るプロジェクトを、建築家の宮本佳明が200分の1の模型によって提示します。以下は宮本の解説。

最終処分場はおろか中間貯蔵施設の敷地さえも決められない現状では、たとえ廃炉解体に成功したとしても、それにともなって発生する大量の高レベル放射性廃棄物を福島第一原発敷地外に搬出することは不可能である。一方で、敷地内で地層処分を行うことも、処分場として想定される地下300m以下の地質や地下水等の条件を考慮すれば現実的ではない。使用済み燃料については、プールから取り出し敷地内で乾式貯蔵する方法も考えられるが、そもそも圧力容器を貫通した200トン近い溶融燃料については、近未来の技術をもってしても回収が極めて困難であると考えられる。つまり、きっちりと補修と耐震補強を施した原子炉格納容器内に水を満たし、いわゆる水棺化による冷却を確実に行い、十分な低線量になると考えられる1万年以上の遠い未来まで、どんなに手間とコストが掛かろうとも維持管理をし続ける以外に私たちに残された道はない。気休めの「安心」であればこれまでと同じように容易に得ることが可能である。しかしそれと、真に「安全」を担保することが別物であることを私たちはすでに学んだ。それは、可能かどうかの問題ではない。現状のままで見守るように厳重管理を続け、原子炉の最期を看取る以外に、おそらく方法は存在しない。

その時、最も必要なことは、「それ」が危険であるということを明示することである。しかも、文化や言語さえも変わっているであろう1万年後の人類(それは日本人なのか?)に対してである。それは、事故を起こした原子炉建屋外壁に描かれたあの紙吹雪のような「書き割り」の欺瞞を暴くことを意味する。今にして思えば、あの水色の紙吹雪は危険を隠蔽するための装置であったのかも知れない。危険なものを危険であると知らしめること、本来それもまた建築の大切な役割であったはずだ。「建屋」とは一体何を意味するのだろうか?それは建築とは違うのか。建屋(英語ではbuilding)という得体の知れない箱を、建築(architecture)として機能させるために、木造大屋根を原子炉建屋に載せることを提案したい。しかもそれは、危険の徴(しるし)となるように、寺社殿が戴く大仰で様式的なデザインのものの方が良い。敬しても、近寄ることは許さない、荒魂を祀るアイコンとしての和風屋根である。山形県米沢市には上杉藩代々の藩主を祀った上杉家廟(1623年〜1876年、国指定史跡)があり、藩祖謙信公を中心にして12代の廟堂が威風堂々と横一列に並ぶ。今回の展示には含まないが、5号機と6号機、さらには第二原発の4基を加えて、計10基が大屋根を戴き海に向かって立ち並ぶ姿は、あたかも巨大な上杉家廟を連想させるものとなるだろう。

工学的には、木造大屋根は損傷した原子炉建屋を雨風から護り、その大屋根を支える鉄骨造の構造体が建屋の耐震補強を兼ねることで、全体として堅牢な覆屋(鞘堂)を形成する。必要に応じて新設の壁体を付加し、放射線を遮蔽する機能を持たせることも可能であろう。BWR-4型の原子炉を内蔵する2〜4号機建屋(W44.93m×D44.93m[上部33.93m]×H46.05m、総RC造)には向拝付き入母屋屋根を、一回り小さいBWR-3型原子炉を内蔵する1号機(W41.56m×D41.56m[上部31.42m]×H44.75m、RC造一部鉄骨造)には向拝のない宝形(ほうぎょう)屋根を載せる。2〜4号機大屋根の寸法はおよそ、梁間方向82m、桁行方向75m、最高高さは88mになる。4棟それぞれがほぼ東大寺大仏殿に匹敵する規模である。1号機は屋根の形態に照らすなら神宮寺と考えるのが相応しい。つまり福島第一原発神社は神仏習合ということになる。他方で、被災時には定期点検中で原子炉内に核燃料のなかった4号機については、プールから使用済み燃料を取り出した後に解体することも可能であり、あえて神社化する必要はないともいえる。しかしながら、危険の明示と事故の記憶の継承というプロジェクトの目的に沿って、4号機についてもやはり大屋根を掛けて建屋を保全したいと考える。例えば、使用済み核燃料を納めた乾式キャスクの貯蔵施設として再利用することも可能であろう。今後相次ぐ全国の原発の廃炉に向けたパイロットプロジェクトとして積極的に位置付けたい。

安定した原子炉保全のためには、建築意匠も重要な役割を果たす。向拝部の中備(なかぞなえ)には、東北の太平洋沿岸によく見られる大津波の彫刻を施した蟇股を用いる。また海老紅梁(こうりょう)や頭貫木鼻(かしらぬききばな)の繰形(くりかた)にも、事故の記憶の継承のために波の意匠をあしらいたいと考える。防護服を着た神官たちが日々原子炉に向かい祭祀を司る向拝部は、奇しくもかつての中央制御室の直上に当たる。神官たちの最も重要なミッションは、今後1万年以上にわたって大津波と事故の記憶を正しく伝承して行くことにある。そのためには、社殿のメインテナンスにはむしろ手間とコストが掛かる方が望ましい。例えば屋根の仕上げは定期的に葺き替えが必要でかつ材料も手に入りにくい桧皮葺きとするべきである。将来の建て替えに備えて、新たに森林の育成にも取り組まなければならないだろう。また、正しい記憶の継承のためには、文化財指定を行って国宝とすることは必須である。さらには人類全体にとっての「負の遺産」として世界遺産登録を目指すべきだと考える。とにかくあらゆる手立てを総動員して事故の記憶を絶やさないこと、それこそが荒ぶる神を鎮めるために最も大切なことである。

以上

宮本佳明(みやもと・かつひろ)
1961年 兵庫県生まれ
1984年 東大工学部建築学科卒
1987年 東大大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了
1988年 アトリエ第5建築界設立
1996年 第6回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展(共同作品)金獅子賞
1998年 「『ゼンカイ』ハウス」でJCDデザイン賞ジャン・ヌーベル賞、JIA新人賞
2002年 宮本佳明建築設計事務所に改組
2007年 「クローバーハウス」で日本建築家協会賞、建築士会連合会賞優秀賞
2008年 「『ハンカイ』ハウス」でJCDデザイン賞金賞
2010年 「澄心寺庫裏」で建築士会連合会賞優秀賞
大阪芸術大准教授を経て、現在、大阪市立大大学院教授
主著に『環境ノイズを読み、風景をつくる。』(彰国社、2007)、『Grown』(フリック・スタジオ、2010)

 

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