過去の展覧会

伊東敏光展

Toshimitsu Ito AA60 Tachibana Gallery 伊東敏光 橘画廊
Toshimitsu Ito exhibition
2013年4月1日~20日(日曜休)

風景画の傑作は数え切れないほどあるのに、風景を題材とした優れた彫刻はなぜ見当たらないのか――。そんな問題意識を出発点に、彫刻家の伊東敏光は近年、「風景彫刻」の制作に挑んでいます。フレームがない、遠近法が使えない。風景彫刻の制作はそうした彫刻の制約を解決する試みともいえます。

風景とは見る人の解釈によって目の前の空間を切り取ったものですが、そもそも彫刻には絵画や写真のフレームに相当するものがなく、空間を切り取るのに向いていません。しかし海と陸の境がある島であれば一点の彫刻で表現しやすいため、伊東は2011年に「宮島鼠」(木、135×295×110センチ)を制作しました。このときは広島県の宮島がネズミのように見えたのがヒントになり、「ある時点で連想した別の形を全体像として与え、印象深い要素を盛り込む」という方法をとりました。

この方法を応用したのが、今回の個展に出品する「AA60」(写真、2012年、木、石、406×412×160センチ)です。この作品は昨年、米テキサスでの滞在制作をきっかけに生まれました。フレーム代わりの全体像は、アメリカン航空の成田-ダラス間に就航している飛行機。そこに、米国内での移動時に飛行機の窓から見たアリゾナの砂漠やサボテンを含めた風景を抽象風に表しています。

「彫刻は実在物(人や動物)を実在物(木、石、鉄など)に移すことから逃れられないため、方法論を生み出さず技術に頼ってきた」というのが伊東の見方です。言い換えると、新しい方法をつくることができれば、彫刻で風景を表現できる可能性があるわけです。その完成の暁には、「絵のように美しい風景」ならぬ「彫刻のように美しい風景」という言葉が生まれているかもしれません。
(月~金曜正午~午後7時、土曜正午~午後5時)

伊東敏光(いとう・としみつ) 1959年千葉県生まれ。85年東京芸術大美術学部彫刻科卒、87年東京芸術大大学院美術研究科修了。2006~07年、米ペンシルバニア大大学院で在外研修。現在、広島市立大芸術学部教授。なびす画廊(東京)、秋山画廊(東京)、泉美術館(広島市)などで個展多数。

竹島善一写真展「会津 昭和五十年代の記憶」

竹島善一 下郷町大内 1970 橘画廊
Yoshikazu Takeshima exhibition
前期2013年3月4日~9日、後期3月11日~23日(日曜休)

福島県の奥会津を40年以上モノクロームで撮り続けている写真家がいます。東京在住の竹島善一。ライカを手に農村に入っていったのは木村伊兵衛(1901~74年)と同じですが、一つの地域に注ぎ込んだエネルギーが尋常ではありません。木村が秋田を訪れたのは52年から71年にかけての21回。これに対し、竹島の奥会津での撮影は1000回以上にのぼります。

生まれも育ちも東京の竹島が奥会津に初めて触れたのは1970年真冬の朝。弘前への撮影行の帰路、夜行列車の乗り換えで偶然に乗ってしまった列車の窓から会津盆地の雪景色を眺めるという形での出会いでした。本業はうなぎ屋ですが、以来、日曜の夜に店を閉めた後、夜行列車に乗って奥会津に入り、定休日である月曜の夕方まで撮影するという生活を続けました。若いころはそれがほぼ毎週。年をとってからはさすがに頻度が落ちたものの、今も自ら車を運転し、奥会津へ出かけていきます。

撮影しているのは茅葺屋根の民家、軒先の風景、話好きのおばあさんに、外で遊ぶ子供たち……。竹島は奇をてらわず、「被写体に語らせる」という姿勢を貫き、対象の自然な姿にさりげなくカメラを向けてきました。30年、40年たってみれば、そうして撮られた数多くの写真がある時代への鎮魂歌として浮かび上がってきます。

もともと「生きているうちに人に見せるつもりはなかった」そうですが、10年ほど前から作品の公開を求める声が相次ぎ、展示の機会が生まれました。今回の展覧会では、茅葺民家の生活がかろうじて残っていた昭和50年代に絞り、前期と後期に分け合計約20点を展示します。すべて本人が現像し、プリントしたモノクロ写真です。上の写真は1970年1月、福島県下郷町大内で。竹島が初めての奥会津で撮った一枚です。
(月~金曜正午~午後7時、土曜正午~午後5時、3月20日も営業)

竹島善一(たけしま・よしかず) 1935年東京生まれ。蒲焼き店経営のかたわら、奥会津の人や風物を主な専門として写真を撮り続ける。アフガニスタン、中国などでも撮影。2012年、アフガニスタンを主題にギャラリー412(東京・青山)で個展。著書に『会津農の風景』『谿声山色』『蘇る記憶Ⅰ』『蘇る記憶Ⅱ』など。
「竹島善一の話」(撮影の経緯など)

タリーズでも福田遼子展

Ryoko Fukuta Tachibana Gallery
3月22日まで、タリーズコーヒーオリックス本町ビル店(大阪市西区)でも、福田遼子展を開催します。同店は橘画廊から徒歩1分、オリックス本町ビル地下1階。平日の画廊の営業時間内は同店もオープンしています。

福田遼子展

福田遼子 幸せとその先 橘画廊
Ryoko Fukuta exhibition
2013年3月4日~23日(日曜休)

一瞬たりとも同じところにとどまらず流れ続ける――。福田遼子の抽象画にはそんなイメージが託されています。右へ左へ、手前へ奥へと視線を揺さぶる色彩の戯れと柔らかな印象を与える繊細な曲線。それらがあいまった画面は、本来、色も形も大きさもないはずの生命の存在を表しています。

福田は現実の何かの形を解体して抽象化するのではなく、S字の曲線や不規則なうねりを丹念に描き込むことによって抽象的な形をつくり出していきます。色よりも先に来るのが線。洗剤が溶けてできる泡なども観察し下絵を描きますが、本番の制作では8割を感覚に頼っています。

ピンクや青など、後から与える色は明るく清らか。それらが「形」の境界を越えて画面全体に響き合い、幻想的な雰囲気を生み出します。イメージのよりどころは「生まれる前に体験した胎内を漂う感覚や体液に浸る感覚」。いのちの根源という不思議なものへの意識も強く持っているようです。

「幸せとその先」「祈りと底」といった謎めいたタイトルも福田ならではです。たとえば「祈りと底」であれば、無事に生まれてきてほしいという祈りが込められています。162.1×260.6センチ(100号2枚分)の大作を含め油彩画、水彩画合わせて20点を出品します。写真は「幸せとその先」(2013年、カンバスに油彩、72.7×91センチ)。
(月~金曜正午~午後7時、土曜正午~午後5時、3月20日も営業)

福田遼子(ふくた・りょうこ) 1987年徳島県生まれ、2011年鳴門教育大大学院美術コース修了。11年Gallery銀座フォレスト(東京)、GALLERY SUZUKI(京都市)で個展。12年橘画廊、Gallery銀座フォレストで個展。同年国展新人賞受賞。

 

浅野綾花展 ちょっとかなしい

Ayaka Asano Tachibana Gallery
Ayaka Asano exhibition  My Little Sorrows
2013年2月11日~23日(日曜休)

画面の「余白」に書かれているのは言葉です。「わたしのこと知らないのに/愛してるなんて言うから/君がうそつきに見えたの」。こんなふうに、女性である「わたし」が男性の「君」にぶつぶつつぶやいたり、「君」と「わたし」のやりとりをさめた目で眺めたりしている様子が記されています。銅版画を制作している浅野綾花にとって、今回、画面に文章を書くことは一つの冒険でした。

中学生のころから日記代わりに書きためていたドローイングと文章。ドローイングは早くから作品に取り入れていましたが、「言葉は直接的過ぎるから」と、使うのを控えていました。本人によると、もともと、作品を人に見られるのがつらいと感じるタイプ。絵だけでも恥ずかしいのに、ましてや文章なんて、という気持ちだったそうです。しかし展覧会を重ねるにつれ、自分のことを知ってほしい、存在を認められたいという気持ちが広がり、ためていた文章の一部を解き放ちました。

ビル、住宅、立体駐車場、自画像に花。版で刷った絵の部分には、思春期までを過ごした静岡や今住んでいる大阪、アトリエのある西宮などで見たものが、懐かしさを醸しながらまるで風景のごった煮のように一体となっています。モチーフはきわめて個人的な経験に関連していますが、表現の内容は事柄や物語ではなく一瞬の感情といえます。

あえて言葉にすれば「振り切れなかった小さな悲しみ」をいとおしむ気持ち。それを、いかにしてありきたりでない方法で伝えるかに彼女の意識が向けられています。写真は「愛してるのじゅばくれい」(2013年、銅版画、色鉛筆、30.7×46センチ)。
(月~金曜正午~午後7時、土曜正午~午後5時)

浅野綾花(あさの・あやか) 1985年静岡県生まれ、2008年大阪芸術大芸術学部卒。11年Gemma(焼津市)、番画廊(大阪市)で個展。12年Gemma(焼津市)、2kw gallery(大阪市)、番画廊(同)などで個展。

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