過去の展覧会

34年ぶりアフガニスタン訪問


長島義明の講演から

9月26日から写真展を開く長島義明の講演会が15日、龍谷大学大阪梅田キャンパスで開かれました。テーマは「東日本大震災から半年」と「約束の写真 アフガニスタンへの旅」でしたが、今回はアフガニスタンでの体験談の一部を紹介します。

話は1977年にさかのぼります。35歳だった長島は40日かけてアフガニスタンを踏破しました。そのときヒンドゥークシ山中の富士山頂と同じくらいの標高の村で歓待され、別れ際に、笑顔で手を振る30人の子どもたちの写真を撮りました。ここに掲げた写真がそれです。長島はいつかこの写真を届けると約束し、村を離れました。

しかし79年にソ連が侵攻。その後も激しい内戦、米軍による空爆と続き、治安の悪化はとどまることを知りませんでした。かつての平和だったアフガニスタンを知る身としては、テレビが流す殺伐とした映像に違和感を持つばかりだったそうです。子どもたちとの約束から34年。「自分の体力を考えると、今年行っておかなければならない」と覚悟を決め、69歳の写真家は7月下旬、アフガニスタンへと旅立ちました。

首都カブールから車で10時間以上かけ、石窟で知られるバーミヤンへ。さらに車で移動し、3日かけて昔の少年たちを捜し回りました。入国の5日前には、軍人7人がタリバンに首を切られ路上に放置されるという事件があったばかり。タリバンの村で、通訳に「車から降りるな。人にカメラを向けるな」と、何度も釘を刺されました。それでも地元の人たちに昔の写真を見せながら、30人の消息をたずね、きっかけをつかみました。

結局、長島は「子どもたち」の1人に会い、写真を渡すことができました。しかし……相手はかつての明るい笑顔の少年ではなく、険しい表情の初老の男であり、タリバンの一員でした。しかも村のほとんどの人がタリバンであることがわかりました。「ここに来る外国人は皆殺す」。そう告げられた写真家は、その場を立ち去らざるを得ませんでした。殺さないのがせめてもの友情。待ち構えていたのは厳しい現実だったのです。8月3日に帰国。2日後、自らの写真展が始まった薬師寺へと向かいました。長島は「(薬師寺最寄りの)近鉄西ノ京駅を降りて、セミの声がシャーッと聞こえてきたとき、日本は平和だなと思った」と話し、複雑な表情で講演を締めくくりました。(2011年9月19日)

長島義明写真展 24の物語

Yoshiaki Nagashima Tachibana Gallery
2011年9月26日~10月15日(日曜休)

「正直言って風景はおもろない」。半世紀も写真を撮り続けている長島義明は、一番面白いのはスナップ(日常出会った光景の早撮り)だと言います。カレンダーにも使える青空や花畑の写真と違い、街中のスナップは「商売にならない」かもしれません。しかし毎年のように海外へ出かけて行き、スナップを撮っています。

同じスナップでも、なぜ海外なのでしょうか。長島は20歳でデザイン事務所をやめた後、日本中を歩き回ったものの満足できず、台湾、香港へ。そのとき言葉の通じないところで妙に感覚が研ぎ澄まされ、「おれは外国へ行きたかったんだ」と気づきました。以来、カメラを手に100カ国以上を訪ねています。「知らない場所へ行き、人と出会うのが好き」。だから世界中を回り街を歩くこと自体が目的なのだそうです。

ここに掲げた「ハーレムの夏」は1990年の作品です。長島がニューヨークのハーレムを歩いていると、大粒のシャワーに出合いました。ストリートで跳ねる子どもたち。長島は濡れながらシャッターを切りました。黒澤映画に出てくるような「たたきつける雨」、光る路面。右側の少年の両足は地面から浮いています。見知らぬ人の生活の場に足を踏み入れる好奇心と偶然の出会いがこの傑作を生みました。

この展覧会では、長島が40数年にわたって世界各地で撮影したモノクロームのスナップ24点を出品します。「ハーレムの夏」は初公開です。

長島義明(ながしま・よしあき)
1942年 大阪生まれ
1963年 日本写真専門学校卒業
1966年 海外撮影旅行を開始、現在に至るまで100カ国以上で撮影
1984年 東京のペンタックスフォーラムで初の個展 「人間の旅」
1987年 文化庁の芸術家在外研修員としてパリに滞在
1993年 キューバでカストロ議長を撮影
1995年 写真集『阪神大震災』(バーズアイ出版)
2001年 写真展「平和だった頃のアフガニスタン」を全国30か所で開く
2011年 34年ぶりにアフガニスタンを訪問

パズルプロジェクト2011

PUZZLE PROJECT in London Tachibana Gallery
2011年9月5日~17日

世界各国のアーティストが一辺20センチ程度の段ボールのピースに絵を描き、それらをジグソーパズルのように組み合わせて大きなアート作品を仕上げる「パズルプロジェクト」=写真は2008年、ロンドン。大阪を拠点に活動する稲葉高志が2006年に始めたこのプロジェクトの6回目の展覧会が8月23日から28日までニューヨークのOUCH GALLERYで開かれます。そして、そのニューヨーク展と今年春の関西国際空港での展示の集大成ともいうべき大阪展「PUZZLE PROJECT 2011 <KIX- NY-OSAKA>」を9月5日から10日まで、橘画廊で開きます。

ニューヨーク展に参加するのは日本、豪州、米国などのアーティスト40人以上。個々のアーティストが制作している段階では、だれにも全体像がわからないというゲームの要素が特徴で、縦1メートル、横数メートルの作品ができる見込みです。

橘画廊の展覧会では、関西国際空港旅客ターミナルビルに出品したときのピースに、ニューヨーク展で使ったピースなどを交え、新たなインスタレーションを披露します。本来のジグソーパズルのように一枚の絵をばらばらにするのではなく、もともとばらばらにできたアートワークをつないで一つの作品として完成させるこの試み。ボーダーレスの意味を考えるきっかけになりそうです。

「忘れましたわ」

Shozo Shimamoto Tachibana Gallery 嶋本昭三 橘画廊
嶋本昭三のカンバスの小品群(写真)の中には、一見、絵の具の塊のようにも見えるものがついている作品があります。しばしば、ご覧いただいた方から「何がついているのですか」と聞かれるのですが、それらはガラスの破片です。絵の具の入ったガラスの瓶をカンバスに投げつけて絵を描いているため、割れた瓶の破片がカンバスに付着した……というわけです。逆に、よく見ると穴があいている作品もあります。

イタリアの美術家、ルチオ・フォンタナは1949年ごろから、紙やカンバスに穴をあけたり、カンバスを切り裂いたりし、「絵画の平面性を打ち破った」と評されていますが、嶋本も同じぐらい古くから同様のことをしていたという説があります。そんな嶋本ですから、ガラスの瓶を投げながら「破片がついたら面白いな」くらいのことを考えていたとしても不思議ではありません。

それにしてもガラス片のつき方がきれいです。「本当に、こんな絶妙のポイントに偶然、破片がつくのでしょうか」と疑問を投げかける方もいらっしゃいます。作家本人にきいてみるしかありませんが、制作方法を作家にたずねても「忘れましたわ」という答えが返ってくるだけでした。

嶋本昭三展

Shozo Shimamoto Tachibana Gallery 嶋本昭三 橘画廊
2011年7月4日~23日(17・18日休、10日は午後1~3時オープン)

嶋本昭三は83歳の大ベテラン。1960年代以降のシルクスクリーンなど紙の作品を素材に新たに制作したシリーズ「PAPERS2011」とカンバスの絵画の小品群(2009年)を出品します。

「PAPERS」は赤、青、黄、緑のカラフルな絵の具が紙にぶつかったときの痕跡が特徴のダイナミックな作品ですが、見どころはそれだけではありません。髪をそった自らの頭にインクで字を書いてもらうヘッドアートや、室町時代の画家、雪舟の作品を画面上に借用し、その上に「あ」の字を書いた絵画「あと雪舟」。そうした代表作のモチーフの一部を見ることができます。つまり新作でありながら、新しいものと古いものが同居しているのです。

ヘリコプターから絵の具を投下するド派手なパフォーマンスで知られる嶋本ですが、「画家」の側面を改めてご覧いただけるのではないでしょうか。カンバスの小品を含め展示品はすべて初公開です。写真は「PAPERS」の1点で、サイズは45×53・6センチ。

Pages: Prev 1 2 3 ...8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18