福島第一原発神社~荒ぶる神を鎮める~

宮本佳明 福島第一原発神社 橘画廊 The Fukushima No.1 Nuclear Power Plant Shrine
宮本佳明展
2012年3月5日~24日(月~金曜午前11時~午後7時、土曜正午~午後5時、日曜・祝日休)

事故を起こした福島第一原発。その原子炉を鎮め、今後1万年以上にわたって高レベル放射性廃棄物を現状のまま水棺化して安全に保管するために、原子炉建屋にアイコンとなる和風屋根を載せて神社ないしは廟(マウソレウム)として丁重に祀(まつ)るプロジェクトを、建築家の宮本佳明が200分の1の模型によって提示します。以下は宮本の解説。

最終処分場はおろか中間貯蔵施設の敷地さえも決められない現状では、たとえ廃炉解体に成功したとしても、それにともなって発生する大量の高レベル放射性廃棄物を福島第一原発敷地外に搬出することは不可能である。一方で、敷地内で地層処分を行うことも、処分場として想定される地下300m以下の地質や地下水等の条件を考慮すれば現実的ではない。使用済み燃料については、プールから取り出し敷地内で乾式貯蔵する方法も考えられるが、そもそも圧力容器を貫通した200トン近い溶融燃料については、近未来の技術をもってしても回収が極めて困難であると考えられる。つまり、きっちりと補修と耐震補強を施した原子炉格納容器内に水を満たし、いわゆる水棺化による冷却を確実に行い、十分な低線量になると考えられる1万年以上の遠い未来まで、どんなに手間とコストが掛かろうとも維持管理をし続ける以外に私たちに残された道はない。気休めの「安心」であればこれまでと同じように容易に得ることが可能である。しかしそれと、真に「安全」を担保することが別物であることを私たちはすでに学んだ。それは、可能かどうかの問題ではない。現状のままで見守るように厳重管理を続け、原子炉の最期を看取る以外に、おそらく方法は存在しない。

その時、最も必要なことは、「それ」が危険であるということを明示することである。しかも、文化や言語さえも変わっているであろう1万年後の人類(それは日本人なのか?)に対してである。それは、事故を起こした原子炉建屋外壁に描かれたあの紙吹雪のような「書き割り」の欺瞞を暴くことを意味する。今にして思えば、あの水色の紙吹雪は危険を隠蔽するための装置であったのかも知れない。危険なものを危険であると知らしめること、本来それもまた建築の大切な役割であったはずだ。「建屋」とは一体何を意味するのだろうか?それは建築とは違うのか。建屋(英語ではbuilding)という得体の知れない箱を、建築(architecture)として機能させるために、木造大屋根を原子炉建屋に載せることを提案したい。しかもそれは、危険の徴(しるし)となるように、寺社殿が戴く大仰で様式的なデザインのものの方が良い。敬しても、近寄ることは許さない、荒魂を祀るアイコンとしての和風屋根である。山形県米沢市には上杉藩代々の藩主を祀った上杉家廟(1623年〜1876年、国指定史跡)があり、藩祖謙信公を中心にして12代の廟堂が威風堂々と横一列に並ぶ。今回の展示には含まないが、5号機と6号機、さらには第二原発の4基を加えて、計10基が大屋根を戴き海に向かって立ち並ぶ姿は、あたかも巨大な上杉家廟を連想させるものとなるだろう。

工学的には、木造大屋根は損傷した原子炉建屋を雨風から護り、その大屋根を支える鉄骨造の構造体が建屋の耐震補強を兼ねることで、全体として堅牢な覆屋(鞘堂)を形成する。必要に応じて新設の壁体を付加し、放射線を遮蔽する機能を持たせることも可能であろう。BWR-4型の原子炉を内蔵する2〜4号機建屋(W44.93m×D44.93m[上部33.93m]×H46.05m、総RC造)には向拝付き入母屋屋根を、一回り小さいBWR-3型原子炉を内蔵する1号機(W41.56m×D41.56m[上部31.42m]×H44.75m、RC造一部鉄骨造)には向拝のない宝形(ほうぎょう)屋根を載せる。2〜4号機大屋根の寸法はおよそ、梁間方向82m、桁行方向75m、最高高さは88mになる。4棟それぞれがほぼ東大寺大仏殿に匹敵する規模である。1号機は屋根の形態に照らすなら神宮寺と考えるのが相応しい。つまり福島第一原発神社は神仏習合ということになる。他方で、被災時には定期点検中で原子炉内に核燃料のなかった4号機については、プールから使用済み燃料を取り出した後に解体することも可能であり、あえて神社化する必要はないともいえる。しかしながら、危険の明示と事故の記憶の継承というプロジェクトの目的に沿って、4号機についてもやはり大屋根を掛けて建屋を保全したいと考える。例えば、使用済み核燃料を納めた乾式キャスクの貯蔵施設として再利用することも可能であろう。今後相次ぐ全国の原発の廃炉に向けたパイロットプロジェクトとして積極的に位置付けたい。

安定した原子炉保全のためには、建築意匠も重要な役割を果たす。向拝部の中備(なかぞなえ)には、東北の太平洋沿岸によく見られる大津波の彫刻を施した蟇股を用いる。また海老紅梁(こうりょう)や頭貫木鼻(かしらぬききばな)の繰形(くりかた)にも、事故の記憶の継承のために波の意匠をあしらいたいと考える。防護服を着た神官たちが日々原子炉に向かい祭祀を司る向拝部は、奇しくもかつての中央制御室の直上に当たる。神官たちの最も重要なミッションは、今後1万年以上にわたって大津波と事故の記憶を正しく伝承して行くことにある。そのためには、社殿のメインテナンスにはむしろ手間とコストが掛かる方が望ましい。例えば屋根の仕上げは定期的に葺き替えが必要でかつ材料も手に入りにくい桧皮葺きとするべきである。将来の建て替えに備えて、新たに森林の育成にも取り組まなければならないだろう。また、正しい記憶の継承のためには、文化財指定を行って国宝とすることは必須である。さらには人類全体にとっての「負の遺産」として世界遺産登録を目指すべきだと考える。とにかくあらゆる手立てを総動員して事故の記憶を絶やさないこと、それこそが荒ぶる神を鎮めるために最も大切なことである。

以上

宮本佳明(みやもと・かつひろ)
1961年 兵庫県生まれ
1984年 東大工学部建築学科卒
1987年 東大大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了
1988年 アトリエ第5建築界設立
1996年 第6回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展(共同作品)金獅子賞
1998年 「『ゼンカイ』ハウス」でJCDデザイン賞ジャン・ヌーベル賞、JIA新人賞
2002年 宮本佳明建築設計事務所に改組
2007年 「クローバーハウス」で日本建築家協会賞、建築士会連合会賞優秀賞
2008年 「『ハンカイ』ハウス」でJCDデザイン賞金賞
2010年 「澄心寺庫裏」で建築士会連合会賞優秀賞
大阪芸術大准教授を経て、現在、大阪市立大大学院教授
主著に『環境ノイズを読み、風景をつくる。』(彰国社、2007)、『Grown』(フリック・スタジオ、2010)